リー?クアンユー氏死去、91年の偉業とは?  [感想]

シンガポールの首相を務め、「建国の父」であるリー?クアンユー氏が3月23日、シンガポール市内の病院で亡くなった。91歳だった。シンガポール首相府は同日、「シンガポール初代首相であるリー?クアンユー氏の逝去を深い悲しみをもってお伝えする」と発表した。90歳を超えても意気軒昂だったが、今年2月初旬に肺炎で入院。シンガポール総合病院の集中治療室に入り治療を受けていたが、最近になって危篤状態が続いていた。
魔根
リー氏は1923年、英国植民地だったシンガポールで生まれた。5人兄弟の長男。19世紀半ばにリー氏の曾祖父が中国からシンガポールに移民、祖父の代から英語の教育を受け、父は外資系企業に勤務していた。一族すべてが英語教育を受けた知識人であり、家族は英語とマレー語で会話をしていたという。

1942年に日本がシンガポールを占領、軍政を始めるとリー氏にも危機が訪れる。日中戦争で中国側の抵抗の激しさに苦しんでいた日本軍は、それを支援していたシンガポールなど東南アジアに済む華僑を弾圧する。シンガポールでも中国人男子全員に対し「数日間の食糧を持って、市内各地5カ所に集まるように」命じ、それに応じたリー氏は「処刑すべき」リストに入る。だが、間一髪、逃げることができたという。この時処刑されたシンガポール華人は、日本軍関係者で5000人、同地の歴史家は5万人としており、戦後もこの問題が保障問題として浮上したほどだ。
vigrxプラス
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